No.15, No.14, No.13, No.12, No.11, No.10, No.9[7件]
上田哲さん「賢治をめぐる女性たち——高瀬露を中心に」(河出書房新社「図説 宮沢賢治」)より。
「高瀬露は自分についての悪評を知らなかったわけではない。『イーハトーヴォ』創刊号の高橋慶吾の文章や第十号の関徳弥の文章に、身におぼえのないことが書かれているのを読んでいるのであった。それなのに反論も弁解もしていないのは不思議である。明らかな犯罪者でも否認したり弁解したりするのが普通である。彼女は生涯一言の弁解もしなかった。この問題について口が重く、事実でないことが語り継がれている、とはっきり言ったほか、多くを語らなかった。これは彼女がキリスト者であったことによるのかもしれない。肉体的苦痛はもちろん、貧窮、迫害、誹謗などを自分の十字架としてにない、キリストの十字架の御苦に合わせ献げるため甘受するといった考え方が昔の信者にはあった。また、どうしてこのようなうわさを流布されるようになったかを話せば傷つく人のあることも考えていたようである。」
この一文を読むたびに、短い間とはいえ露さんの悪評を信じてしまったことを大変情けないと感じ、自分の浅はかさを反省しています。
#高瀬(小笠原)露さん #「悪評」関連 #賢治研究界の「猫の事務所」 #資料の中の気になる記述
「高瀬露は自分についての悪評を知らなかったわけではない。『イーハトーヴォ』創刊号の高橋慶吾の文章や第十号の関徳弥の文章に、身におぼえのないことが書かれているのを読んでいるのであった。それなのに反論も弁解もしていないのは不思議である。明らかな犯罪者でも否認したり弁解したりするのが普通である。彼女は生涯一言の弁解もしなかった。この問題について口が重く、事実でないことが語り継がれている、とはっきり言ったほか、多くを語らなかった。これは彼女がキリスト者であったことによるのかもしれない。肉体的苦痛はもちろん、貧窮、迫害、誹謗などを自分の十字架としてにない、キリストの十字架の御苦に合わせ献げるため甘受するといった考え方が昔の信者にはあった。また、どうしてこのようなうわさを流布されるようになったかを話せば傷つく人のあることも考えていたようである。」
この一文を読むたびに、短い間とはいえ露さんの悪評を信じてしまったことを大変情けないと感じ、自分の浅はかさを反省しています。
#高瀬(小笠原)露さん #「悪評」関連 #賢治研究界の「猫の事務所」 #資料の中の気になる記述
今でこそ「多数の人に振る舞うならカレー」と考えるのは普通だけど、「ライスカレー事件」が起こった1927(昭和2)年当時、カレーってどのくらい普及していたんだろう。都会なら分かるけど、宮沢家別宅があった下根子桜周辺ではどうだったんだろう。
「昼食はライスカレーで」って、もしかしたら賢治が提案したんじゃないだろうかと思ってしまう。
そうなるとますます露さんに罪はないということになってしまうけど…。
#宮沢賢治 #高瀬(小笠原)露さん #ライスカレー事件
「昼食はライスカレーで」って、もしかしたら賢治が提案したんじゃないだろうかと思ってしまう。
そうなるとますます露さんに罪はないということになってしまうけど…。
#宮沢賢治 #高瀬(小笠原)露さん #ライスカレー事件
下根子桜の宮沢家別宅↔高瀬露さんの勤務校だった宝閑尋常小学校の約8.5km、土地勘のない場所なので今ひとつピンとこないところがありましたので、近隣で同じくらいの距離を計測してみました。
分かりやすくなるようJRや地下鉄の駅を起点・終点にして測ったため0.3kmほど誤差が出てしまいましたが、大体の感覚が掴めました。
いやこんな距離、週6日2回ずつ歩くなんてちょっと無理やろ…という感想。
Googleマップでは徒歩約2時間と出ていましたが、いずれ実際に歩いてどのくらいの時間がかかるか見てみたいと思います。
#「頻繁な訪問」伝説
分かりやすくなるようJRや地下鉄の駅を起点・終点にして測ったため0.3kmほど誤差が出てしまいましたが、大体の感覚が掴めました。
いやこんな距離、週6日2回ずつ歩くなんてちょっと無理やろ…という感想。
Googleマップでは徒歩約2時間と出ていましたが、いずれ実際に歩いてどのくらいの時間がかかるか見てみたいと思います。
#「頻繁な訪問」伝説
tsuMemo開設のお知らせを「ご挨拶・お知らせ履歴」に移動、期間限定記事を削除しました。
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#お知らせ #履歴に転載しないお知らせ
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本日は小笠原(旧姓・高瀬)露さんの命日です。
満68歳で帰天されました。現代では「早すぎる」と思う年齢ですが、露さんが帰天された1970(昭和45)年当時の平均寿命から考えても少し早めだったようです。
いわれのない悪評を流され、広い範囲に知れ渡ったこともその一因になっているのではないか…と思ってしまいます。
帰天から55年。天上にあられる露さんの御魂が安らかであることをお祈り申し上げます。
#高瀬(小笠原)露さん
満68歳で帰天されました。現代では「早すぎる」と思う年齢ですが、露さんが帰天された1970(昭和45)年当時の平均寿命から考えても少し早めだったようです。
いわれのない悪評を流され、広い範囲に知れ渡ったこともその一因になっているのではないか…と思ってしまいます。
帰天から55年。天上にあられる露さんの御魂が安らかであることをお祈り申し上げます。
#高瀬(小笠原)露さん
次回の記事更新は3月10日になります。よろしくお願いいたします。
各ブログランキングに先ほど投稿した記事がなかなか反映されなくてちょっと焦った…💦
#履歴に転載しないお知らせ #サイト運営に関する独り言
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#履歴に転載しないお知らせ #サイト運営に関する独り言
上田哲さん「「宮澤賢治伝」の再検証(二)ー<悪女>にされた高瀬露ー」にて「本年(引用者注・1996年)三月河出書房新社から出した共著『図説宮沢賢治』に高瀬露の写真を載せたいと思い高瀬家を継いだ実弟の妻女の方(花巻市に在住)に手紙で趣旨を申上げ写真の提供をお願いしたが御返事がなかった」との記述があります。
高瀬家側の「賢治研究関連に対する強い拒絶の姿勢」に「過去に賢治研究家(もどき)たちは悪評のバラマキの他にも、高瀬家に対して色々と失礼を働いてきたのでは?」と思ってしまいます。
(悪評のバラマキだけでも相当なやらかしではありますが)
#資料の中の気になる記述
高瀬家側の「賢治研究関連に対する強い拒絶の姿勢」に「過去に賢治研究家(もどき)たちは悪評のバラマキの他にも、高瀬家に対して色々と失礼を働いてきたのでは?」と思ってしまいます。
(悪評のバラマキだけでも相当なやらかしではありますが)
#資料の中の気になる記述