No.49
「賢治を慕う女の人がありました。勿論賢治はその人をどうしやうとも考へませんでした。その女の人が賢治を慕ふのあまり、毎日何かを持つて訪ねました。當時は羅須地人協會にたつた一人の生活をして居られたのですから、女の人も訪ねるには都合がよかつたでせう。他の人にものを與へることは好きでも、他から貰ふことは極力嫌つた賢治ですから、その女の人から食物とか花とか色んなものを貰ふたびに、賢治はどんなに恐縮したことでせう。そしてそのたびに何かを返禮してた樣です。そこで手元にあるものは何品にかまはず返禮したのですが、その中には本などは勿論、布團の樣なものもあつたさうです。女の人が布團を貰つてから益々賢治思慕の念をつよめたといふ話もあります。後で賢治は其の事のために多少中傷されました。」
関登久也(徳弥)「宮沢賢治素描」>P205「返禮」より。
最後の一文「後で賢治は其の事のために多少中傷されました」、よく読んでみると「女の人(高瀬露さん)」が賢治を中傷したとは書いていないんですよね。賢治を中傷したのは羅須地人協会の周囲に住む人々かもしれないし。
「後で賢治は其の事のために(人物)から多少中傷されました」と書いておいて欲しかったと思います。
もしかして、読者が「女の人が賢治を中傷した」と受け止めることを狙ってこのような書き方をした?…というのは流石に勘繰りすぎでしょうか。
#「悪評」関連 #資料の中の気になる記述 #関徳弥
関登久也(徳弥)「宮沢賢治素描」>P205「返禮」より。
最後の一文「後で賢治は其の事のために多少中傷されました」、よく読んでみると「女の人(高瀬露さん)」が賢治を中傷したとは書いていないんですよね。賢治を中傷したのは羅須地人協会の周囲に住む人々かもしれないし。
「後で賢治は其の事のために(人物)から多少中傷されました」と書いておいて欲しかったと思います。
もしかして、読者が「女の人が賢治を中傷した」と受け止めることを狙ってこのような書き方をした?…というのは流石に勘繰りすぎでしょうか。
#「悪評」関連 #資料の中の気になる記述 #関徳弥
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