No.52, No.51, No.50, No.49, No.[4件]
儀府成一は「宮沢賢治 ●その愛と性」>「火の島の組詩」で高瀬露さん(文中では「内村康江」という仮名で表現)を「働いて食べるのが精いっぱいだという職業婦人」としていますが、大正末期〜昭和初頭での女性教師って「生活のために就く」職業なんでしょうか?
むしろ「高等女学校を卒業するまで通えた裕福な家の女性が、卒業後当たり前に辿る『結婚』という進路を捨てるほど高い意識を持って就く」職業だと思うのですが。
実際、露さんのご実家は花巻では結構な名家だったとのことです。
#資料の中の気になる記述 #儀府成一 #「悪評」関連
むしろ「高等女学校を卒業するまで通えた裕福な家の女性が、卒業後当たり前に辿る『結婚』という進路を捨てるほど高い意識を持って就く」職業だと思うのですが。
実際、露さんのご実家は花巻では結構な名家だったとのことです。
#資料の中の気になる記述 #儀府成一 #「悪評」関連
本日は小笠原(旧姓・高瀬)露さんの命日です。
満68歳で帰天されました。
いわれのない悪評に対しほとんど弁明をしなかったという露さん。大変度量が大きく精神力の強い方だったのだろうと思います。
ほんの一時期とはいえ「露さんの度量の大きさに甘えていた立場」にいたことを恥じ入っております。
帰天から56年。天上にあられる露さんの御魂が安らかであることをお祈り申し上げます。
#高瀬(小笠原)露さん
満68歳で帰天されました。
いわれのない悪評に対しほとんど弁明をしなかったという露さん。大変度量が大きく精神力の強い方だったのだろうと思います。
ほんの一時期とはいえ「露さんの度量の大きさに甘えていた立場」にいたことを恥じ入っております。
帰天から56年。天上にあられる露さんの御魂が安らかであることをお祈り申し上げます。
#高瀬(小笠原)露さん
参加している「人気ブログランキング」がAIによるブログ要約の掲示を始めました。
当ブログ「「猫の事務所」調査書」はこのように説明されています。
歴史的な証言や資料の解釈、多角的な視点を提供
宮沢賢治と関わりの深い女性たちの人生や伝記、事件の真実について掘り下げている。資料や証言を元に、伝わる情報の背景やそれぞれの証言者の立場を見極めながら、歴史の裏側にある実像に迫る構成になっている。
AIにはそう見えるのか…と結構驚かされました😅
証言や資料の豊富さ・読み応えは「hontounokenji's blog」様が圧倒的だと感じております。
(Loading...)...
#サイト運営に関する独り言
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#サイト運営に関する独り言
「賢治を慕う女の人がありました。勿論賢治はその人をどうしやうとも考へませんでした。その女の人が賢治を慕ふのあまり、毎日何かを持つて訪ねました。當時は羅須地人協會にたつた一人の生活をして居られたのですから、女の人も訪ねるには都合がよかつたでせう。他の人にものを與へることは好きでも、他から貰ふことは極力嫌つた賢治ですから、その女の人から食物とか花とか色んなものを貰ふたびに、賢治はどんなに恐縮したことでせう。そしてそのたびに何かを返禮してた樣です。そこで手元にあるものは何品にかまはず返禮したのですが、その中には本などは勿論、布團の樣なものもあつたさうです。女の人が布團を貰つてから益々賢治思慕の念をつよめたといふ話もあります。後で賢治は其の事のために多少中傷されました。」
関登久也(徳弥)「宮沢賢治素描」>P205「返禮」より。
最後の一文「後で賢治は其の事のために多少中傷されました」、よく読んでみると「女の人(高瀬露さん)」が賢治を中傷したとは書いていないんですよね。賢治を中傷したのは羅須地人協会の周囲に住む人々かもしれないし。
「後で賢治は其の事のために周囲の人々から多少中傷されました」などと書いておいて欲しかったと思います。
もしかして、読者が「女の人が賢治を中傷した」と受け止めることを狙ってこのような書き方をした?…というのは流石に勘繰りすぎでしょうか。
#「悪評」関連 #資料の中の気になる記述 #関徳弥
関登久也(徳弥)「宮沢賢治素描」>P205「返禮」より。
最後の一文「後で賢治は其の事のために多少中傷されました」、よく読んでみると「女の人(高瀬露さん)」が賢治を中傷したとは書いていないんですよね。賢治を中傷したのは羅須地人協会の周囲に住む人々かもしれないし。
「後で賢治は其の事のために周囲の人々から多少中傷されました」などと書いておいて欲しかったと思います。
もしかして、読者が「女の人が賢治を中傷した」と受け止めることを狙ってこのような書き方をした?…というのは流石に勘繰りすぎでしょうか。
#「悪評」関連 #資料の中の気になる記述 #関徳弥